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5月30日(金)〜6月16日(月)

石井孝典
EDIRNE
写真

写真家、石井孝典がトルコの国技、ヤール・ギルシュルレ(トルコ・オイルレスリング)を4年間にわたり撮影してきたシリーズの集大成となる展覧会。プライドをかけて戦う男たちの肖像。

後援|トルコ共和国大使館
協力|堀内カラー

東京写真月間参加


作家紹介記事:モノマガジン6/19号No.585 P173モノインタビュー
作家紹介記事:+ING (ヘアマガジンプラスイング)27号 P90-91 PHOTOGRAPHERS NOW
レビュー:TRANSIT
情報掲載:アサヒカメラ|朝日新聞|読売新聞|WEB ダ・ヴィンチ

 屈強な男たちが全身にオリーブオイルを浴びながら力の限りを尽くして闘う、「ヤール・ギュレシレル(トルコ・オイルレスリング)」。トルコの人々は、国技であるオイルレスリングの競技者たちのことを、敬意を込めて「ペーリヴァン」と呼ぶ。この言葉が「勇気」という意味を持つように、男たちが闘いの果てに手に入れようとするのは、「誇り」に他ならない。
 約650年の歴史があり、トルコ・オイルレスリングのトーナメントにおいて頂点とされる競技会「クルクプナル歴史的オイルレスリング大会」が毎年6月、ギリシアとの国境に近いトルコ西端の街、エディルネで開催される。会場であるサライチ・スタジアムにはトルコ全土から1800人におよぶ男たちが集まり、3日間にわたる死闘を繰り広げる。
 写真家・石井孝典は、この競技会で誇りをかけて闘う男たちの肖像写真を自主取材によって撮り続けてきた。スタジアムの通路に仮設の撮影セットを組み、闘い終えた男たちを待つ。レスラーたちがカメラの前で立ち止まってくれるのは、わずか30秒ほど。極限まで闘い抜いた男たちの息は乱れ、全身が火照りを帯びている。石井孝典は、一人ひとりとファインダー越しに対峙し、闘いの余韻を漂わせる男たちの姿をフィルムに焼き込んだ。
「闘い終えた男たちからは余計なものがそぎ落とされている。すべてを出し切って闘った者だけが放つ『熱』のようなものを撮りたかった」
 石井孝典は、2003年から2006年にかけて毎年、エディルネを訪れ、少年レスラーたちから伝説のチャンピオン、Ahmet Tasciにいたるまで分け隔てなく撮影し、その数は4年間でのべ1000人以上に及んだ。
 2008年5月30日から、石井孝典の写真展『EDIRNE』が開催される。4年間の撮影の集大成となるこの写真展では、レスラーたちの厳選した肖像写真とともにエディルネの風景写真を、手焼きプリントと大判の「ラムダプリント」によって展示。会場は東京・浅草の江戸時代末の土蔵を再生したアートスペース、ギャラリー・エフ。震災や空襲に耐え力強く立ち続ける重厚な空間が、トルコ・オイルレスリングの誇り高き勇者たちの肖像写真によって満たされる。

 


 

トルコ・オイルレスリングとエディルネ

 エディルネ市はトルコの西端に位置し、ギリシアやブルガリアとの国境にも近い街。オスマントルコ帝国時代には首都として約100年間にわたる栄華を誇った。現在も街の中心部には宮殿やモスクといった16世紀の建築物が点在している。
 1346年、オスマントルコ帝国の軍隊がヨーロッパへ向けて行軍し、現在のエディルネ市郊外の草原で休息をとった。ある日、「真の勇者」を決するために、40人の兵士が闘い始めた。最後に残ったアリとセリムの兄弟は2日間にわたり闘い続け、そして息絶えた。ふたりを埋葬した場所からは泉が湧き、「クルクプナル」(「40の泉」の意味)と名付けられた。以来、この地はトルコ・オイルレスリングの発祥地とされ、毎年、「クルクプナル歴史的オイルレスリング大会」が開催されている。

 


 

石井孝典 プロフィール

1968年、大阪に生まれる。国内の大学で中国語を学んだ後に、父親のニコンF2を持って渡米。ロサンゼルスのメキシコ人街で韓国人と共同生活を始める。LA Valley Collegeに在籍時に出会ったフォトジャーナリズムに衝撃を受け、写真家の道を志す。3年半のアメリカ滞在を経て、1994年に帰国。フォトスタジオでの経験を積んだ後、1997年に独立しフリーランスの写真家として活動を開始。深い色合いのなかに被写体の存在感を際立たせる写真の描写力は評価が高く、『Sports Graphic Number』(文藝春秋社)や『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)などエディトリアルや広告などで、人物ポートレイトを中心に写真作品を発表し続けている。