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フィルムを完成するのにどのくらいかかりましたか? ものすごくたいへんな作業だと思うのですが!


はい。とてもたいへんな作業でした。正確にどのくらい、とは言えません。プロジェクトに取り組むとき私は時計を見ず、日数も数えないからです。それに、私はこれを全部一人でやったわけではありません。何人かのすばらしい人たちに助けてもらいました。撮影、編集、ナレーションと録音… とても心強い人々の助けを得ました。彼らなしではできませんでした。
あえて言うなら、セットを作り、撮影し、編集するのに数ヶ月かかったというところでしょうか。

 

たいへんであると同時に、あなたの手の込んだ作品とインスタレーションとしての全体像を、フィルムに収めることができるというのはやりがいがあるのではないですか。インスタレーションは展示が終われば消えてしまうものですから。そのことは、あなたがフィルム制作に取り組む理由の一つでもありますか?


アニメーションにおいて私は、たくさんの作業と思考を組み合わせて一つにすることができます。だから私のアニメはディテールにあふれています。くり返し見るたびに何か新しいものを見つけると思います。私でさえ見つけます。
フィルムは、物語を語るうえでとても実りある手法です。完結しています。自分の思うままに観客を導くことができます。いわば空気を創るということです。もちろんそれには危険もあります。私は観客に物語の解釈の余地を十分に与えたいと思います。私のインスタレーションやドローイング、他の作品がそうであるように。
解釈の自由は、『ゲイの栗鼠』においてはより難しかったです。ナレーションを使ったからです。私の他のフィルム作品には言葉がありません。なので音楽を使わず、背景の効果音をできるだけ下げることで、操りすぎないように心がけました。幸運にも、ナレーターのブラッドリー・シーモア氏は魅惑的な声をしています。そのことが、映像から異なる要素を読み取るための十分な自由を与え、空想させてくれていると思います。
だからそうです。フィルムは、展覧会のあとになくなってしまう多くの作品を保存してくれます。

 

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