作品について J.P. ホル

 秘密の花園、不思議の国のアリス、楽しいダックタウン。これらはどれも、基礎的で絶対的な様式で示されているこの世界の縮図だ。アーティストJ.P.ホルの世界の住人たちは、毛に覆われた動物たち、ネズミの兵隊、心安らがないドローイング。それらが詰まったクローゼット、屋根裏部屋、箱たち。見捨てられたおもちゃでいっぱいの、ほこりだらけの遊戯室のように、彼の作品は(たまに)わずかに灰色がかったおとぎ話を創り出す。

 ホルは、動物や物をアイコンのように扱う。それらはまさに生き生きとして自然のままでありながら、また一方で非物質的な雰囲気を創り出す。彼の空想の世界は、ミッキーマウス頭をかぶったリスの剥製、半人半鼠(ネズミ)の小さな陶製人形の軍隊、作業灯電球を頭に付けた犬たち、魅惑的な生き物のような植物たち、人間のようなあんまり人間でないようなものたちの頭部が、くつろぎのティーカップや凶暴な動物たちのイメージと同居している切り紙、きらめく惑星や天球に埋め尽くされたクローゼット、光る蛍と家、透明でなめらかに動き出しそうなガラスの水中生物、そんなものたちでいっぱい。これらすべての要素は、内的で個人的な伝達手段における記号言語の一部である。

 ホルは、環境のあらゆるすべてを制御し操ろうとする人類の欲望を象徴するために、剥製の動物を使う。人間は征服し、支配する。このことは、ディズニーハットの使用によってさらに強調されている。文字通り、人間は動物をイメージの型にはめてディズニー化、すなわち人間化しているのだ。観る者は、そこらへんにある物やランダムに選ばれた映画のタイトルなどによる、毒のあるドローイングを示される。あるいはホルは、なんとなく中国の兵馬傭にインスパイアされたネズミ人間の軍隊で私たちを魅了する。さらに別の作品、銀のミッキーマウス耳の蓋のついた蛍光の赤いガラス瓶の大群から成る「Oh, Make Me Over」プロジェクトでは、日常的な事象と、自己の向上や死の恐怖といったより大きな人生の問題との間の、潜在的なテンションを描き出す。

 ホルの作品は、一見すると魅力的で誘惑的で、おちゃめでゆかいである。粘土、フエルト、紙、といった子どもっぽい素材や、黒、白、金、赤、ピンク、青、といった色が多用されているためだ。けれど一方その表面下で、ホルの作品にはより深遠で高尚な観念が付きまとう。それは、外の世界へとさらされた内面の肖像のように語りかける。内省的で本質的、集団における個としての存在にまつわる肖像。他と違っていたいと望みながら同時に、集団の一部であり社会的動物であることへの深いあこがれを抱く、という人間の矛盾。この逆説的な矛盾に捕われているということについて。彼は、ナイーブとも言える無邪気さで、この普遍的な人類の命題を具体化する。個人の観念と社会の観念。その間のテンションのバランスを取りながら、彼は意識的に外界と対峙する。

 知性と美という魅力で、ホルはまず私たちを、より深く、より個人的に自分自身を見つめるよう仕向ける。深みに落とし込む前に熟考する時間を与える。自我を超えていくこと、そしてユーモラスでしかもおそろしくて、時に文化的にはぎりぎりの境界線にある、より広範な問題へと前進すること。彼の作品は、孤独と絶え間ない葛藤に裏打ちされている。彼はひっそりと、けれど明確な方法で、私たちを取り巻く世界へと問いかけているのだ。

 さらに興味深いことには、作品がしばしテクノロジーを中心に展開することだ。しかしハイテク素材や技術を使う代わりに、ホルの作品はとてもシンプルに表現されており、頼りなげな手作り感さえ醸し出す。これは彼のもうひとつのイデオロギーを要約している。たとえいかなる技術功績を達成しようと努力しても、我々は未だ最大のチャレンジを克服することはできない。死への恐怖、そして決して手に入れることのできない永遠性。

 ホルはその作品において様々なテーマに触れる。個人的なテーマというよりも、むしろその理念と俯瞰と謎との、つながりを強めながら。技術や素材においてだけでなく、触れて抱きしめられるようにすることで彼は魔法をかけ、つまりは人生への恐怖をやわらげるのだ。

 「ぼくの作品は真実を示しているのでも光を説いているのでもない。それは、でたらめなことになって持ち主に忘れられたおもちゃの部屋。その混乱した住人たちが、生きることに声もなくもがいている場所だ」JPホル/2004年

 

 

 

 

 

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