終着駅から〜広州火車站・1997〜
text: 鵜養 透

 これは一つの記録です。中国現代史に現れた一つの風景・盲流の記録です。

 「盲流」という中国語は,富裕な大都市に地方農村から雪崩を打って農民が押し寄せる現象を指します。高度成長に沸き立つ九十年代の沿海部で見られた現象で,その最たる都市が広東省の省都・広州でした。
 上り列車は未来への憧れを誘い,終着駅は未来の前に頑なな現実が立ち塞がることを教えます。当時の広州火車站(駅)の駅前には盲流の農民が常時数万の規模で起居していました。「盲流」という呼称が端的に表すように,何の勝算もないまま故郷を後にした農民たちは終着駅の駅頭に立ち尽くす他ありませんでした。どこに行ったらいいのか,彼らはまるで知らなかった。にもかかわらず生きていかねばならない──確かなのはそれだけでした。彼らは着の身着のまま露天で生活を始めました。

 一昔前の中国農民の生涯移動距離は半径十キロ内外だったと言われます。そうした人々にとって,故郷から数千キロ離れた広州の街は異国にも比すべき場所だったはずです。
 一方,彼らを見つめている私もまた異邦人としてその地にありました。両者の違いと言えば,私は金を持っているが彼らは金を持っていない,という馬鹿みたいに酷薄な現実だけです。企業の駐在員だった私は快適な五つ星ホテルに住み,彼らは南国の路上で熱気と排ガスと汗にまみれて寝起きしていました。しかし,そのような違いは余りに当たり前すぎて,実はどうでもよいことかも知れません。

 当時私が感じていた両者を隔てる本質的な違いは,もっと単純なことでした。私一人がカメラを持っている,ということです。そして彼らの直中でシャッターを切る私を捉えたのは,実は痛切な恥の感覚でした。私はカメラを持っているのが恥ずかしかった。猛烈に恥ずかしかった。私は恥と闘いながら写真を撮り続けました。
 妙な言い方ですが,カメラを持つと人は抽象的な存在になります。何も考えず(敢えて言えば感じることすらもやめて),ただひたすら反応するだけです。活きて働いているのは目と足だけです。
 他方,ファインダーの向こうの人々は余りにも複雑で具体的な存在でした。明日のたずきを如何に得るか──このシンプルな問いをめぐり,彼らは全神経を研ぎ澄ませて感じ考えていたはずです。その真剣な生への執着が彼らを十全な存在にしていると私は思いました。
 私は夜毎我を忘れて写真を撮る一方で,カメラを持つことで虚ろになっていくような妙な喪失感を食み続けました。写真を撮るということは実は一つの精神の危機なのです。

 写真を撮る。スリーブを確認する。また撮る。その単純な繰り返しの中で,それでも私は意外なことに気づきました。写真は美しかったのです。
 私は美しく撮ろうと思ったことは一度もありません(なぜなら,私の中の常識は垢と汗にまみれた彼らを美しいとは思わなかったからです)。にもかかわらず,写真は美しかった。夢のように美しかった。
 美を意図しおおっぴらに喧伝しながら少しも美しくないものが私たちの世界には溢れています。企んだ美は所詮その人間の美意識の限界をなぞるだけだからかも知れません。
 思うに真性の美は常に私たちの向う側にあります。ファインダーの向う側に。
私たちの目は臆病で,見ることと同じくらい見ないことを欲します。一方で写真は全てを見ます。だから写真は常に私を超えるのです。
 八年前の広州駅頭で,私の狭隘な意識を超えて写真は彼らの十全な存在に触れたのです。そして十全な人間存在というものは常に美を孕んでいます。私たちの日常的な美意識が惰性で看過する美を。すなわち存在そのものの気高さ=dignityを。

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