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ゲイの栗鼠はどのようにあなたを映していますか? 彼はあなたの人生においていつでもいっしょなのですか?


もちろん! どんなアーティストも、最も抽象的な、またはコンセプチュアルなアーティストも、自身の内側や原点から作品を創り出します。そのプロセスにおいて自分自身を乗り越えることはあるかもしれませんが、避けては通れないもので、作品のなかに自分自身をほんのちょっとでも含まないということはとても難しいです。そしてたぶんそれはよいことでしょう。

ゲイの栗鼠は常に私の一部でした。子ども時代のおえかきから、『栗鼠としてのセルフポートレイト』という題名の、ミッキーマウスの帽子をかぶせた剥製の栗鼠の作品、そしてこの映画に至るまで。 2 年前の『 FORGOTTEN 』という展覧会@ギャラリー・エフにも、 4 年前の『 Secret Garden 』@ studio J にも、数匹の栗鼠がいました。

栗鼠は足が早く、ちょっと神経質で、ふさふさのしっぽを持った賢こすぎないネズミです。いかにもそれが私自身だと思います。
とはいえ私の両親の家は古くなったナッツの匂いがするわけではなく、鳩時計があったわけでもありません。私は家族の樹から追い出されてもいません。ある時点で私は自分から出て行きました。そして、知る限りでは悪魔に会ったことはないです。

この物語は私の身に起きてもおかしくない要素をたくさん含んでいます。キャラクターたちも私の一部である要素を含んでいます。 多くのホモセクシャルの人々にとってそうであるように。

 

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