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「ゲイである」というこのテーマを初めて作品に取り入れたことはあなたにとって「対峙」だと話してくれましたね。このプロジェクトにおいてあなたが乗り越えて来た「対峙」について話してもらえますか。それはどのようなプロセスでしたか?


私は生まれながらのゲイです。そのことを疑ったことはありません。目の色や、欠点や才能のすべてと同じように、まさに私の一部なのです。
もちろん、人のセクシュアリティというのはとても私的な事柄です。一般に、セクシュアリティというのは人々に困惑をもたらすものです。少なくとも西洋社会では。ホモセクシュアリティのことは口にしません。大人になって(ホモ)セクシュアリティを共有することはありません。むしろ人々から隠そうとします。
私は思春期に自分のセクシュアリティが友だちとは違うということに気づきました。自分がゲイであるという事実よりも、自分がアウトサイダーであるということを受け入れることの方が難しいということに気づきました。多くのゲイの人々が、人生においてこのような時期を過ごします。そして私は大人になり、それを乗り越えました。そして実際私はゲイであることがとても心地よくなりました。

なので「対峙する」ということは、私がゲイであるという事実や、そのことを外界と共有するということではなく(私を一目見ればわかるとは思うのですが)、それを作品の中で用いるということに対してです。
他の多くのアーティストにとって、自身のセクシュアリティを作品に用いるというのは自然なことです。でも私はそれを特におもしろくないと思っていたし、私が扱っているテーマにはそぐわないと思っていました。でも、私の心の中で外に出たがっていた図々しい栗鼠が、その考えを変えました。いわば別の時、別の場所でのカミングアウトのようなものです。私にそうするということが興味深いです。気に入りました。

 

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