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 あなたの作品からは、おとぎ話のような深い物語性を感じることができます。それぞれの作品には明確な物語があるのですか? また、それは、制作をする前から存在しているのか、それとも作品が完成すると物語も完成するのでしょうか? 
 もうひとつは、あなたの作品、とりわけ「忘れ去られたモノたち」というシリーズを見ると多くの人々は自分の子ども時代のことを思い出すと思います。あなたの子ども時代の出来事で、この「忘れ去られたモノたち」というテーマに関連することがあれば教えてください。

 


 

 今の私は、精神的に落ち込んでいるわけでもないし、どちらかというと、それとはまったく逆の状態にあるのですが、生きることの難しさや、日常生活がいかにややこしいかを自分なりに理解しているつもりです。私は、こういったことを作品のなかに織り込んでいます。私たちの身の回りにあるモノたちは、私にその物語を話してくれる。私はそれにちょっと手を加えるだけです。モノを擬人化する。こういったことをする私は、まだ幼い少年なのです。
 たいていの場合、私はとても幸福な気持ちで作品の制作を始めますが、最終的には、どこか少しだけくすんだおとぎ話として完成します。その作品は、確実に私自身よりも力を持っている。それはきっと、私が惹かれるテーマとモチーフに関連していることだと思います。
 お話を語るという姿勢は、自分自身の文化観と育った環境からくるものであり、また同時に、自分自身の中に存在するものです。
 私は子どもの頃、兄や姉妹たちと食事の席で人形を使いながら、日々の冒険についてお話を作りました。壮大な話も、ささやかな出来事もありました。私たちは毎晩、夕食の席でこのお話づくりをしていた。姉妹はバレリーナとシカ、兄は鬼、そして僕はブタの役でした。私のブタはハシゴから落ち、みんなでアイスクリームを食べて、動物園に行く。私たち兄妹がしていたように。これはきっと、私のなかで何かを育んでいったのでしょう。今でもこのお話が好きです。
 私は北ヨーロッパのしきたりのなかで育ち、そこにはグリム童話があった。すべての木の後ろには災難と幸運が潜んでいる。恐ろしいオオカミと魔法をかけられた家。私は、世界を魔法にかけられた大きな森として理解することで、何かから守られる感覚を得ていたのだと思います。

 

animated movie HARDSHIP, 2004

 

 私の作品にある物語には、始まりもなければ、終わりもない。それはとても大きな物語の一部だと思います。それぞれの作品は、集団のなかでの孤独についてのお話を語っています。でも、それは必ずしも悲しいものではありません。作品は、とても大きな物語にある小さな脇役の物語を紡ぎます。
 生きることと死ぬことは友であり、対になっているのです。女性は生命を創り出し、男性はいかに死ぬかを学ぶために遊ぶ、ということをよく家族で話していました。だから私は遊ぶ……、願わくば、学ぶために遊べていればよいのですが。私は自分の子ども時代をこういったことに費やしました。
 郷愁と失われたモノに対する愛おしさは、私たちの多くがつながることのできる部分です。人々が共有できる大きなテーマとして、宗教とセックスをアートに使うことはできるかもしれません。でも、私は信心深いわけでもないですし、セックスについても……、ねぇ。

 

 

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